まんまるオシリのお月さま

ささやんの頭の中

情報に振り回されない生き方を

 

 

世界は自分の思い通りにはならない

 

これは社会をいきていく上で「当たり前なこと」なのだけど、この当たり前がわからなくなっているのが現代社会である。

 

それはどういうことかと言うと、「情報社会」であり、研究論文から何の根拠もない情報まで、様々な情報のシャワーを私たちは日々浴び続けている。

 

しかし【机上の空論】という言葉があるように、これらの情報はすべてその通りにいくとは限らない。信憑性の高い情報であっても、個人の体験談であっても、今の自分の状況はそれらの根拠とは全く異なるのだから、何も考えずに情報を当てはめてしまうことは非常に危険な側面もあるんだよね。

 

 

例えば日常生活において「紫外線は皮膚がんを招く、身体に悪いものだ」という情報を受けてから、日焼け止めを毎日入念に塗り、日焼け防止グッズを使い続けていたとする。そうすれば確かに皮膚がんは抑えられるかもしれない。だけどビタミンDを合成できずに骨が脆くなって、将来は骨粗鬆症になって骨折→寝たきりになってしまうかもしれない。

 

 

情報を鵜呑みにしてその通りにいくと考え、短絡的に自分の行動を決めてしまうことは自分の人生を規定することなんだ。大切なのは情報を得て行動に移す前に、まず自分の足元を確認すること。そして目指すべきゴールを見据えることでしょう?

それをやらずに情報のシャワーを浴び続け、無意識にその情報は正しいと思ってしまうから、世界は思い通りになるという傲慢で独りよがりな期待をしてしまうのではないか。

 

この複雑な世界の中の、ほんの一部を切り取って方程式を発見し、科学は素晴らしい発展を遂げている。しかしそのほんの一部の方程式を、また複雑な世界に還元しても、世界がその通りになるわけがない。

 

自分の足元を確認した上で情報を知っておくことは有意義だけど、あくまで「試しに取り組んでみようかな」という心構えでいることが大切。またその取り組みによる変化をしっかり感じられる感性は必要不可欠。

 

 

ここまでの話を例え話にすると、「歩いてここから富士山へ行く」となった場合、まず大切なのは現在の自分のいる地点を知ること。そして富士山の場所を知っていて、その方角がどっちか分かること。

それが自分の足元を見るということであり、目指すべき目標を定めるということです。

それもないのに「富士山への最短ルートはこれだ!」みたいな方法論に振り回されても、路頭に迷うだけになる。名古屋にいる人が、東京からの最短ルートを教わっても役に立たないじゃん。

 

でも今の世の中はこういうことが非常に多いよね。

「○○は身体に良い」「△△は身体に悪い」という一部を切り取った情報。そしてその情報を短絡的に捉えて実践する人々。そして期待した効果は得られない。情報に対して、これは間違ってるだの、素晴らしいだのという議論があちこちで沸き起こる・・・あなたの居場所は今どこですか?

 

 

「西に向かって歩けば富士山に着く!」という東京の人向けの情報を鵜呑みにした名古屋在住のAさん。

名古屋から西に向かって歩いてきます。ここで大切なのが感性。頭の中で情報を信じて西に歩き続ければ、どんどんゴールは遠のいていくもの。「本当にこれでいいのか?」と常に自分の行っていることに疑問を持つこと。そして富士山と自分の居場所との距離を確かめること。ただそれだけ。富士山を目で見て確認すれば、小さくなっていることに気付けるだろう。

 

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癖との付き合い方③

自分の癖は自分では気付きにくい。もちろん気付いている癖もあるのだろうけど、気付いていてもやめられないものは、癖というよりも意識的にそう選択しているのだろう。

自分でも気付かないものが癖である。例えば人前で話すときに顔を触ってしまう癖があるとする。(僕のこと)すると話を聞いている側はその癖が気になり始め、話に集中できないということも起こりうる。
この時、当然のように本人は気付いていない。だけど周りからは非常に目立つのである。
そして、周りからの言葉をもらえれば初めて自身の癖に気付くことができるのである。

この「周りからの言葉」というのは、実際に話を聞いてくれた人たちだけでなく、そのような事が書かれている「話し方のマナー」とか「クセで見抜く心理学」みたいな本もそうであり、この記事もその1つである。

つまり癖というのは周りから指摘される以外は、情報を「自分ごと」として受け取り、俯瞰し、自分と向き合わなければ気付けない。
また書籍などの情報がなければ、より丁寧に自分自身を一挙手一投足観察しなければ気付けないものなのである。

今日書いた内容はあくまで「癖の見つけ方」の大雑把なものであり、その癖をどうすれば良いのかはまた記事にしたいと思う。

癖との付き合い方②

自分が相手に触れるときは、基本的に自分が主体である。当たり前だけど。

自分の人生を送っている以上、行動全て自分が主体である。これはこの世に生を受けた以上、誰もが逃れられない当たり前の規定である。主観的とか客観的とかあるけれど、主観から外れることはできない。

 

しかし意識というのは面白い。いや、意識という言葉が適切なのか分からないけど、「どんな志向で触れているか」で感じ方というのは大きく変わるのである。

もちろん何も考えていない時は無意識的な触れ方になっている。それはつまりその人のそれまでの人生の在り方がそのまま反映されるわけである。

 

そこに問題意識を感じているのであるから、これを変えていくためには志向を変えていくことがまずは必要だろうと思う。

 

例えば触れる際に「相手を感じようと触れる」のと「相手が感じているものを感じようと触れる」のでは、感じ方が全く違う。意識の主体が自分なのか、相手なのかがまず変わるわけである。

 

最初ん述べたように、この世界は全てが主観であり、自分が主体である。

なのになぜかは分からないけれど、「相手の感じているものを感じようと触れる」と、自分のタッチの違和感とか、相手がどのように僕の手を感じているのかなどが分かるのだ(本当に分かっているかは厳密には言えないけど、明らかに相手の身体の反応も変わるのである。)

 

自分自身の癖を直すには、自分という見識を抜け出す必要がある。そのための対人関係でもあり、また相手を尊重する関わりが必要なのかもしれない。

 

癖との付き合い方

今の自分に対して課題を持っている場合、多くは日頃から何かしらに取り組まなければその課題は解決できない。


現在感じている課題というのは、これまでの何気ない日々の結果生じているものであるのだから、このまま何気ない日々を送っても解決することはないだろう。



例えば人に触れる際に、自分自身の手が相手にとっての違和感を与えてしまっていることに問題意識を持った場合、「触れる」という行為を何気なく続けていても何も変わらない。何かしらを工夫して「触れる」に取り組まなければ、自分という存在の違和感が改まることはないだろう。

そしてこの場合は「触れる」という相手ありきの行為であるため、人それぞれという相手の個別性・多様性を前提に取り組まなければならない。生命体を相手にするというのはそういうことである。

そしてそれを知った時、初めて「触れる」に対する問題意識が具体化される。具体化とは要するに、自分の感性で感じられるということであり、知るというのもまた、知識としてではなく感性としてである。

それを知ったという前提がなければ、自分としての課題に対して何ら取り組むことなどできないではないか。
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高揚感よりも…

昨日は法人で専門職向けに開催している勉強会があった。僕が勉強会でお話させて頂く時は、毎回必ず意識していることがある。
それは「問題意識を持ち帰ってもらう」ということである。

勉強会あるあるとして「明日から結果が出せる」とか、自己啓発系だと「人生がガラリと変わる」という謳い文句のものがある。
確かに参加者のやる気を引き出したりするのに、この手のセミナーは威力を発揮することもある。しかしそれは一時的な特効薬のようなものだ。不摂生な生活で睡眠リズムが崩れている人に睡眠薬を処方するようなもの。効果は一時的であり、不摂生な生活を変える取り組みを継続しなければ睡眠障害は治らない。

やる気があるとかないとか、集中力が高いとか低いとかで悩む人も多いと思う。自分もその一人であり、どうすれば高い集中力を保てるかと考えることもあった。
何かしらの自己啓発本を読んだり、人と会って話をすれば高揚感が高まるため、非常にモチベーションがあがり集中力も高まる。しかしそれもせいぜい数日のことだろう。
セミナーも同じであり「月曜日の臨床は調子が良い現象」も、一時的な高揚感の高まりによるものではないか。
だとすれば、結局のところ「自分自身は何も変わっていない」ということになる。


結局はどんなに武器(知識や技術)を持っていても、自分自身のレベルが低ければ武器は使えないのである。RPGゲームと同じ。
それでは、自分自身のレベルはどのように高めていけば良いのか?

例えば「集中力が続かない」というものについて考える。この言葉を発する人の多くは、そもそも集中力とは何か?について深く考えずに、自分を言葉に規定してしまっている印象がある。まず考えてほしいのは「集中力」というものが存在するのか?というところからだ。

当たり前なのだけど、集中力というのは概念であり存在するものではない。であれば集中力を高めるのではなく、集中された状態があるだけである。
この違いは非常に大きい。そしてこの違いが分かる人は、集中力を高める方法などないということに気付くだろう。
そこで、ではどうするか?である。集中された状態というのは、自身の状態であるのだから。

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