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まんまるオシリのお月さま

健康とか人生とか悩みとかお尻とか

期待は虚しさを生む

雑感

みなさん、ハイハイレースというものをご存知でしょうか?

 

もう名前のまんまなので、知らない人もイメージできるかと思いますが・・・

 

 

 

これは全国各地から

 

 

予算を勝ち抜いた・・・かどうかは知りませんが、

 

 

本当に全国各地から、まだ1歳にも満たない子供が、

 

 

 

いや、子供を連れた親たちが集い、

 

 

 

 

 

 

我が子のハイハイを競わせるという、超貴族的な遊びなのです。

 

 

 

 

 

 

 

そんな貴族的な遊びにも本気になってしまう親がいるのは恐ろしいことで・・・

他人よりも優越感を得たい親たちにとっては、それはもう血眼になるほどの壮絶な戦いなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人はすぐに他人と比べたがります。

 

 

 

それが自分自身の日々の鍛錬、目的を持って身を削った努力の結晶を他人と比べるのならまだしも・・まだ自我も形成されていない自分の子供を、見ず知らずの他人の子供と比べようとするからタチが悪い。

 

 

 

 

1位になった親は興奮して飛び跳ね舞い上がり、惜しくも敗れた親は悔しさに肩を落とす。

ゴールに辿り着くどころか、途中で進むことをやめてしまった子供に対しては「何をしているんだか・・」といった呆れた様子も見せる人もいる。

 

 

そこには毎年各家庭のドラマがあり、そして僕のように抽選で外れた家庭の親がそれを冷静に眺めるという光景が生まれるのです。

 

 

 

 

 

子育てというのは、親の価値観が思いっきり反映される。

いわば洗脳活動。親は教祖様。神様仏様親御様なのである。

 

 

 

 

僕自身、子育てをしていると日々悩むことばかり。

今の場面は叱るべきなのか?然るべき対応がわからない。そこに正解などありもしないのだけど、どうにも頭で考えすぎてしまう。

 

 

そんな時こそやらなければならないのは「相手と向き合うこと」だろう。

よく観察すること。察するということ。頭でいろいろ考えても、それは頭の中の選択肢しか浮かばないのだから。

 

相手と向き合う。言うが易し、行うが難しである。

だけど、そうやって子供を見ていると自分の頭にはなかった対応が生まれるということをよく経験する。

 

 

 

自分の価値観から抜け出すには、相手のことを本気で考え、向き合うことが大切になる。

 

 

 

ハイハイレース。それは親の価値観でしかない。

 

ただ楽しそうにしている子供もいれば、泣いてしまう子供もいる。

どちらにしても、その場の状況をあまりよく分かってはいない。

 

 

運動神経が伸びるのは3歳からという話も聞く。プレゴールデンエイジというらしい。

それを考えると、ハイハイレースの1位というのは今後の運動神経とはあまり関係がないように思える。

 

 

だけど1位の親はこう思う。「うちの子は運動神経が良い」と。

 

 

 

期待値が高まれば、そこに感動は生まれにくくなる。

期待値と現実のギャップが良い意味で大きいほど感動は生まれ、小さければ感動は小さい。逆転してしまえば、そこには虚しさが残る。

 

 

 

1位の子の親は「虚しさのリーチ」を手に入れた。

そう解釈することで、抽選に外れた自分を慰めるのです。

 

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モモ裏の毛は見えにくい

雑感

 

「無意識」にやっていること。

 

それがその人の価値観の現れである。

 

 

 

可愛い女の子でも、無意識に鼻クソをほじることもある。

鼻クソを詰まらせておくわけにいかないのだから、当たり前にみんなやることだ。

 

可愛い子は鼻クソをほじらないし、オナラもウンコもしない。なんていう幻想を大人になっても持ち続けている男は世の中に多いそうだが、その思い込みもまた無意識なのであり、価値観なのだ。

 

 

 

いくら口では良いことを言っていても、外見は清潔に整えていても

その人の無意識の行動にこそ、その人の在るべき姿が垣間見えるのだ。

 

 

 

 

そして、その姿というのは自分でも振り返らなければ中々見えないものだ。

 

 

 

「自分のことは自分が一番よく分かる」なんて言っている人間ほど、本当の自分の姿など知ろうともせず、自分の理想像を自分だと思い込む。

 

 

 

そしてそんな人間にとって、現実を知らされる時ほど人生でショックな場面というのはないのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校の部活で先輩のストレッチをしていたら、モモ裏(ハムストリングス)の毛が凄まじく生い茂っていることに気づいた。

 

 

「こんなところにも毛が生えるのか!」と驚きながら、毛深い人は本当に訳のわからないところから毛が生えるものなんだなと変に納得している自分もいた。

 

 

体毛の薄いタイプであった僕にとって、刺激的な景色だった。

 

 

 

 

 

その夜、お風呂に入りながらふと自分のモモ裏を見た。

 

普段は見ることのないその部位に、今日は自然と視線が向かった・・・

 

 

 

「・・・・」

 

 

 

「・・・・なんじゃこりゃあ!(松田優作風)」

 

 

 

 

 

そこには生い茂ったハム毛・・

 

 

 

ショック・・

 

死角というのは恐ろしいもので、自分の目に入らない部分というのは、自分の身体イメージに正確に反映されないのだなぁと気付かされた。

 

 

 

僕の中の、僕のイメージは中学生の頃のまま止まっていた。

 

体毛などとは無縁。スベスベな肌を保つ男の子だったはず。。

 

 

 

毛がないと思っていたところに、毛が生えている。

 

 

 

自分のことは自分が一番よく分かると思っていたけれど、実際には自分の背面というのは自分では見えないのだ。そして時間は思っていた以上に針を進めていたんだ。

 

 

 

 

よく「背中を追いかける」という言葉がある。

「師匠の背中を追いかけます!」言ったことも、言われたこともない。

 

 

だけど「背中を追いかける」というのは非常に素敵な言葉ですよね。

 

なぜなら「背中」とは自分では見えない部分であるから。

 

 

 

 

 

自分でも気づかない部分にこそ、自分らしさは隠れている。

 

そして、そこは他人からはよく見える部分なのである。

 

 

 

 

ハム毛・・・ハムストリングス部の毛。

 

 

 

中々自分では目に届かない部位だ。

 

 

人生で大切なこと。そんなハム毛が教えてくれた。

 

 

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愛を込めてコテカをプレゼント

雑感

人は皆それぞれ、自分の価値観を基準に生きている。

 

価値観があるから物事を判断できる。

価値観があるから嬉しい事や後悔する事もある。

これは人間が人間らしく生きる上で必要なものだ。

 

 

しかし厄介なのは、その価値観が世界共通だと思い込んでいる人だ。

そういう奴はたいてい正義感が強く、自分の思い通りに行かないとすぐに泣く。

 

 

よく小学生の頃に先生が「自分がされて嫌なことは人にするな!されて嬉しいことをしろ!と言って教育していた。

 

 

これは自分と価値観が似た相手に対してならとても有効な方法だ。

価値観が同じであれば、されて嬉しい事や嫌な事も大体同じだからだ。

猫のように1日中コタツで寝ている奴には、キャットフードをあげても喜ばれる。

 

 

 

だけど、価値観の異なる相手の場合はどうだろうか。

全然興味のないマンガを「これ面白いよ!」ともらっても、その相手のことをよっぽど好きでもない限り、嬉しくないし読まないだろう。そんな経験誰もがしたことがあるのではないか。

 

やはり他人への行いというのは「大きなお世話」以外の何物でもないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

澤井は非常に真面目な青年だった。

 

高校時代はラグビー部で花園にも出た経験を持つ。一見細身であるが、よく見れば筋肉が引き締まっている「細マッチョ」の教科書的な体型だ。

 

 

職場でも成績優秀な彼は、海外への大事な出張を任されることもしばしばある。英語は堪能であるが、最近は通勤電車で中国語の勉強もしている。熱心な男だ。

 

 

職場へは毎朝一番乗りしてその日のスケジュールをこまめにチェックし、1日の流れをシミュレーションまでするほど「準備」を大切にする男だ。無論、彼女とのデートの際のレストランもラブホも「下見済み」である。ここまで来ると異常だ。

 

 

 

そんな澤井にもやはり人には知られたくない部分が存在する。

光があれば、影がある。

表舞台で活躍する人間には、裏の顔も存在する。

 

透明感抜群のパーフェクトな人間などそうそういないのだ。

 

 

 

 

 

澤井は真面目で優秀な人間である傍ら、女装癖があった。

 

実はこういう人はよくいる。

最近は秋葉原などに「女装サロン」というものまで出てきているそうだ。

 

matome.naver.jp

 

 

「心が落ち着く」

「気分が高まる」

「クセになる」

 

いろんな声が聞こえてくる。

 

 

 

ちなみに今年1月には女装しながら陰部を露出していた73歳のじいさんが逮捕されている。「陰部を出して歩くのがクセになってしまった」という衝撃的な発言を残して・・

 

 

 

そう。

 

世の中にはいろいろな人がいる。

 

 

 

自分の理解に収まらない人などゴマンといるし、むしろ自分が他人を理解できるなどと思うことがおこがましいのである。

 

 

 

 

 

どんな真面目な人間にも裏の顔がある。

 

一緒に暮らしている家族にだって、見せられない顔がある。

 

 

仲の良い友人、恋人、信頼できる先輩・・

 

それぞれとの人間関係の間に構築された「自分」がいる。

それと同時に隠された自分もいる。

 

 

女装癖のある友人から女装セットをもらっても「大きなお世話」のありがた迷惑だけど

 

女装癖のある友人へコテカをプレゼントしても同じく「大きなお世話」のありがた迷惑なのだ。

 

 

 

そんな僕はコテカをもらっても嬉しくない。そもそも嬉しい人なんているのか?

 

そんな思考がおこがましいものなんです。

 

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相手のためなのか、自分のためなのか

雑感

人間は大きなお世話が大好き。

 

自分が誰かの役に立っていたい。

そうすることで人との繋がりを感じれる。社会の一員になれる。

そこで初めて心は安定できるのだろう。

 

定年を迎え、社会との関係が断たれた途端に体調を崩す人がいる。

 

子供が自立し、子育てを終えてから不調が生じる人がいる。

 

 

人の身体の健康は、心の有り様と、社会の中での立ち位置に大きく影響されるのだ。

 

 

 

だから大きなお世話というのは人々の健康のためには大切なものだ。

 

だが時として、その大きなお世話は相手にとって迷惑だということもある。

 

相手の顔をよくみること。科学の基礎は観察だというが、観察の重要性は何にでも言える。キャッチボールは相手のいるところを確認して、そこに投げなければ始まらないように。

 

 

 

 

 

 

バレンタインデーというモテ男のためのイベントがある。

僕自身も中3くらいまでは無意味に緊張してソワソワしていた。

無駄に一人の時間を作り、「いつでも声かけていいですよ」という環境設定をしていた。そんな無駄な悪あがきをしている僕。その悪あがきにすら気付いている人はいなかっただろう。

 

 

高校生くらいになると義理チョコというものが増える。クラス全員に配ったりするやつね。あれが一種の「ありがた迷惑」というやつだ。

 

まず、好きな女の子の手作りお菓子ならそりゃ占領して体中の穴という穴から食べてしまいたいけれど、そんな青春ストーリーは僕には皆無。僕の分のお菓子を作ってくるのは好きな子ではない。むしろ苦手な子だったりするわけだ。

 

そもそも僕はお菓子を食べる人間ではない。お菓子を食べると口内炎がすぐにできるし、胃がもたれる。だから基本的にお菓子は食べたくないのだ。

 

 

そんな僕に手作りのお菓子を渡すという行為。これこそ「ありがた迷惑」だ。

「手作りお菓子を渡す自分」という存在が大切なのであって、お菓子が好きではない僕の存在など別にどうでもいいのである。

 

 

こんな書き方をすると、普通の人が読めばどう見ても僕は性格がクソみたいに映るだろう。正解である。クソみたいな人間なのだ。

 

 

バレンタインデーというイベントに合わせて、女子力をエネルギーに、クラス全員分のお菓子を作る。すさまじいエネルギーだ。その時点でもう僕のようなクソみたいな人間より、遥かに社会貢献している。

 

 

だけど、そのエネルギーを振り回す行為は注意が必要だ。RPGのゲームではある程度のレベルがないと高度な武器は扱えないように、溢れんばかりのエネルギーは、それをコントロールする技術が必要だ。

 

 

その技術が未熟であり、エネルギーだけが高い未成年が、色々とヤンチャをしてしまい警察のお世話になったりする。

 

 

大人になるというのは、ここのコントロールができるようになってくることだ。

もしくはエネルギーだけが低下していき、コントロールする必要もなくなっている人もいる。それは成長ではなく老化である。

 

 

 

大人になる。自分のエネルギーをコントロールする。それはつまり「相手との関係」や「社会との関係」を考えながらアプローチするということである。

 

よく観察すること。

 

よく観察すれば「分かる」のだ。

 

 

 

 

観察していないで自己中心的なアプローチをするというのは、相手にとっては「ありがた迷惑」になる可能性が高い。

 

 

まぁ相手が迷惑だと感じていようと、ありがたいと感じていようと、私たちが他人に対して行うことは全て「大きなお世話」の領域から出ることはない。

 

 

 

好きな女の子から手作りお菓子をもらえれば、お菓子嫌いな僕でもハッピーだし、その「大きなお世話」に死ぬほど感謝するだろうし、余計に好きになってしまうことだろう。

 

 

 

人を喜ばせるには、結局「好きかどうか」だし、そうでないならば「迷惑」は確信犯でなければ痛々しい。。むろん大人になってからの話ではある。

 

 

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北風と太陽

雑感

寒い日に、相手の服を脱がせたいのなら、銭湯かホテルに直行しましょう。

  

ということで、今日は「北風と太陽」について!

 

 

 

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これは太陽とシスコムーン

 

似てるけど惜しい!!ニアミス!!

 

 

 

  

 

 

というわけで、北風と太陽という童話は知っている方も多いかと思いますが・・・

 

 

これは「北風」と「太陽」が旅人の服を脱がせるという、野球拳的なゲームのお話です。そういえば野球拳とか中2くらいの時は憧れたけど、そんなシチュエーションは画面の中にしか存在しないのだとつくづく思い知らされますね。

 

 

 

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「暇や〜・・暇すぎて餓死しそうや〜・・・腹減ったわ〜」

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「そんなに暇なら、ちょっとあそこのおっさんの洋服脱がせるゲームしよか」

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「おっさんお服脱がす趣味なんてないんやけど・・・」

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「騙されたと思って一回やってみ!新たな自分に出会えますわ!」

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「北風はんがそこまで言うなら一回やってみてもえぇか。。」

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「よっしゃ!ほなまずは見本見せたるわ!よう見とけよ!」

 

 

 

北風の作戦は、風の勢いに任せて洋服を剥ぎ取ろうとするというものなのですが、これが旅人には逆効果!

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20160501002206j:plain「なんや急に・・今日めっちゃ寒いやん!アホか!天気予報全然当たらんわ」

 

と怒りながら旅人は洋服を着込んでしまいます。

 

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「久々にやったけん、感覚が狂ってたわ〜。次はあのオッさんにしよう!小太りで可愛いしめっちゃタイプやわ」

 

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「ちょいちょいちょい!!待ていぃ!わいの番や!何自分だけ楽しんどる!そんな性癖あったの知らんし・・」

 

 

 

太陽は対照的に、暖かく照らし続けることで旅人本人からの「服を脱ぎたい」という能動的な行動を引き出す作戦に出ました。これが功を奏し

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20160305220707j:plain「なんや今度は急に・・あつっ!暑すぎやん!服脱ごう!」

 

と旅人は服を脱ぎ始めました。

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「わいの勝ちや。オッさんも中々えぇなぁ。新たな自分に出会えましたわ」

 

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「今回は負けたけど、太陽はんがオッさんに目覚めたならオールオッケーや」

 

 

 

〜おしまい〜

 

 

 

 これが童話【北風と太陽】のあらすじになります。

 

 

 

 

この話の要点は

 

北風のやりかた・・・自己中心的で強引なアプローチ

 

太陽のやりかた・・・相手主体の行動変容を促すアプローチ

 

 

であり、「物事は太陽的なやり方の方がうまくいくことが多いよ」というお話だと思います。

 

 

 

 

 

僕はこの太陽的なアプローチ法をいうものを、自分の仕事(理学療法)を通して意識し続けてきて、その重要性をとてもよく感じるの。  

 

 

なぜなら、このようなアプローチをしていくには、その対象をもっと深く知る必要が出てくるから。

 

 

 

 

 

北風的なアプローチは、自己中心的に成り立ってしまうわけですが

 

太陽的なアプローチは、相手を知る。相手ありきのアプローチなんです。

 

 

 

 

これは非常に大変ですが、相手と対立しないため非常に物事がうまく進みます。

 

 

人間関係なんかにおいても、「〇〇を相手にしてほしいな」と思った時に、それを直接頼むという方法もありますが、「相手が〇〇したくなる環境を構築する」というアプローチを行うことで、相手の主体性を引き出すことができるわけです。

 

 

今日はもう眠くなってしまったので、この辺にしようと思いますが、

僕が社会人になってからずっと大切にしてきた考え方なので、また続編として、理学療法の現場での具体的な「太陽的アプローチ」について記事を書ければと思います。