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まんまるオシリのお月さま

健康とか人生とか悩みとかお尻とか

健康と病気とは何か

身体のこと

健康ブームの罠

 

世間は健康ブームですが、皆さん「健康」とは何かハッキリとした自身の考えをお持ちですか?

 


目的地が分からないのに地図を見ても、進むべき道は分かりません。
同様に「健康とは何か」が分からなければ、そのために何をすれば良いのか分かるはずがありません。

ぼんやりとした「健康になりたい」という思い込みから、各種メディア等に取り上げられる健康情報に踊らされてしまうのです。

 

テレビで「トマトは健康に良い」という情報が流れると、翌日スーパーからトマトが売り切れるといった現象が起こります。トマトを買う明確な理由を言える人はどれだけいるのでしょうか?「トマトが好きだから」は立派な理由です。

しかし「トマトを食べると健康になれるから」は理由になりません。なぜならトマトを食べたところで健康になれるわけではないからです。


このような情報に踊らされてしまう方は「健康とは何か?」が分かっていないのに、健康という言葉に遊ばれしまっている状態なのです。

 


「健康とは何か」
それが分からなければ、健康にはなれないのです。

 


そこで今日は「健康とは何か」を今一度考え直すことをしていきましょう。

 

 

 

健康の定義とは

 

まず、WHOが定義している「健康」の定義を見てみましょう。

健康とは・・・
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること

要するに健康とは「満たされた状態にあること」であり、病気とは直接的に関係がありません。
自分自身が満たされているかどうか、自分がどう思っているかという問題になります。


なので健康かどうかは他人が決めることではなく、自分自身がどう思っているかだけなのです。
例え疾病を患っていても健康な人はいますし、何も疾病を持たずとも不健康な人はいます。


自分自身が何かやりたいことなど「目的」を持っている際、または目的などなかったとしても、疾病などの肉体的・精神的な問題があったり、家庭的・社会的な問題があるなどの理由から

・目的を達成するのに制限があり苦痛である
・生活を楽しむことができず苦痛である

などといった問題を感じる際、それは健康ではない状態と言えるのかもしれません。

 

 

 

 

先ほど「トマトを食べたところで健康になれるわけではない」と言わせていただきました。
この理由を書きながら、健康について整理していきましょう。

まずトマトは身体に良い食材であることは間違いありません。
例えばトマトには血圧を下げるのに有効なリコピンカリウムといった栄養分が多く含まれています。

なのでトマトを食べることで、これらの栄養分を摂取することができます。それだけです。

そうです。それだけなのです。


トマトを食べたところで、高血圧が治る訳ではありません。
血圧が高いのにはその理由があります。
トマトを食べないから高血圧になる訳ではありません。他にも様々な要因があり高血圧になるのです。

それら多くの高血圧の要因を放っておいて、トマトを積極的に食べたところで血圧は下がらないでしょうし、健康になどなれないのです。

疾病を治して健康な身体を手に入れるためには幅広い視点で自分自身を知る必要があり、その中の一要因として「トマトを食べる」という選択肢があるだけなのです。

 

 

 

このように様々な視点から幅広く捉えていくことが大切であり、このブログサイトではそのお手伝いができたらと思っています。

 

 

 

なぜ薬を飲んでも病気は治らないのか

身体のこと

 

おはようございます。

 

 

ささやんです。

 

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「↑この顔なんなの?」と思う人もいるかと思うので、簡単に紹介します。

 

 

 

この顔は現時点では特に意味はありません。

今後何かに役立つだろうと思い、再現性が高くなるよう簡単に描ける顔にしました。

 

 

 

 

 

はい。

 

 

今日からは少し、理学療法士としての知識や経験を活かしながら健康のために役立つ記事を書いていこうと思います。

 

 

 

 

僕が資格を取得し医療機関で働き始めたのは7年前になります。

現在29歳。今年で30歳を迎える社会人8年目、AB型の水瓶座、好きな食べ物はラーメンと寿司、最近ハマっている曲はスピッツのロビンソン。どうも、ささやんです。

 

ロビンソンに最近ハマる自分に驚いています。

 

 

 

いきなり話が変わりましたが、とにかく7年間医療機関で多くの身体の不調の方々と関わっていると色々なことが分かるわけです。

 

 

 

どうすれば病気になり、どうすれば健康になれるのか?

そもそも健康とは何か?

医療で人は治るのか?

などなど

 

 

そこらへんの話を踏まえて、ブログを更新していきたいなぁと思っています。

 

 

 

今日はタイトルにもあげた「薬を飲んでも治らない」について。

 

これは医師の方でも口に出して言っていることでもあり常識になりつつあるのですが、中にはまだまだ分かっておらず、患者さんを薬漬けにしようとする医師もいます。

 

 

 

 

薬とは何でしょうか?

 

正確な定義はここでは省きますが、僕の考える薬を一言で言うと「症状を緩和させるもの」だと思います。

 

 

 

つまり、「その症状が生死を分けるようなもの」の場合、薬は非常に効果的です。

だから急性期医療の分野において西洋医学は発展してきたのだと思います。

急性期において大切なのはまずは命を助けることであり、「症状を抑えること」が超重要ですからね。

 

西洋医学は「部分を切り取る要素還元主義」に基づいて構築されていると僕は思っています。「部分を切り取る」というのは、医療の分野で言えば「症状」ですね。

「症状」にのみフォーカスする。

 

膝が痛ければ、膝を診る。

血圧が高ければ、血圧を下げる。

 

そしてその手段は薬、手術などの対症療法。

また私の仕事でもある理学療法なども、部分的にしか捉えていない場合はやはり対症療法です。(この話もまた今度書きます)

 

 

 

しかし症状というのは「現象」であり、現象には「原因・要因」があります。

 

急性期の生死を彷徨う場合や、明らかな原因がある外傷などの場合は既存の西洋医学で十分対処できます。

 

 

しかし、慢性的な痛みや身体の不調に関してはそうはいきません。

症状は「出るべくして、出ている」のです。

 

 

症状の要因があり、その結果として現れているだけなのです。

 

だから「薬」を飲んだところで一時的に症状は治まるのですが、要因が解決されていなければ、症状はまた「出るべくして出る」のです。

 

 

 

 

身近な例で例えるならば、夫婦仲の悪い状態に陥った人が、お酒でストレスを解消させるというケースがありますよね。ドラマとかだと。。

 

しかし、お酒を飲んで一時的にストレスが解消されたとしても、悪くなった夫婦仲は解消されるわけではないですよね。

 

むしろお酒に依存してしまい、さらに夫婦仲が悪くなるなんてことも考えられます。

お酒を飲んでも何も解決しないのです。

 

 

 

 

 

では、症状ってどのように出ているの?という部分について、また次回記事にしたいなと思います。

 

 

 

自分を作る。軸を作る。

雑感

 

「自分の軸を持ちなさい」

 

 

こんな言葉をよく聞くけれど、実際よくわからん!って人はいませんか?

 

 

僕はそうでした。

 

 

どうも。

 

 

ささやんです

 

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今では「自分の軸」という言葉を自分なりに定義できたので、まとめてみようと思います。

 

 

 

 

 

まず軸とは何か?ということですが、軸というのは例えば「回転する物体における運動軸」など使われ方がありますね。

 

 

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つまり軸によって軌道がブレずに運動できるわけです。

 

軸がなければブレブレになり、どこへ向かうか分かりません。

 

 

 

 

なので「自分の軸」というのは、自分の中でブレない【美学】と言い換えることもできますし【自分のルール】とも言えると思います。

 

 

 

 

 

そして「ブレない軸」というのは、あくまでも「ガチガチな頑固なもの」ではなく、あくまでも抽象的な方向性ということだと考えます。

 

 

 

 

 

 

例えば、「将来的には海外の貧しい村で医者として人助けをしたい」と言っていた人が、急に「やっぱり自分で会社を設立して、貧しい国の人を支援する」と方向転換したら、それは軸がブレてるのでしょうか?

 

 

ここにはあくまでも軸としての「海外の貧しい国への支援」といった抽象的な方向性があります。

 

 

 

 

医者にしても、会社設立にしても、それらは手段であり具体的なもの

 

 

その具体的な手段にこだわって囚われてしまえば、非常に視野の狭い行動しか取れなくなってしまいます。

 

 

 

 

 

 

なので、「自分の軸」というのはあくまでも

 

・抽象的な方向性であり、

・自分の美学であり

・自分で決めたルールであると思います。

 

 

 

「自分はお金より時間を大切にして行動する」というのもルールであり、軸である。

 

「自分は自身の名誉よりも、目の前の相手の笑顔を優先する」というのも美学であり、軸である。

 

 

要するに、何か目の前に選択肢があった際、軸があればその軸に沿った方を選択していけば良いわけです。

 

 

 

そのためには「自分はどんな人間になりたいか?」を想像し、

 

そんな自分になれるようなルールを決めていけば良いのです。

 

 

 

 

自分探しの旅に出たって、自分は見つかりません。

 

 

自分は作っていくものです。

 

なりたい自分を作っていく。そのルールや美学が「自分の軸」であると思います。

 

 

 

 

「時間を金で買う」について

雑感

 

どうも

 

ささやんです

 

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今日はご要望の多かった(ホントはないけど)お金と時間に対する僕の考えついて書いていこうと思います。

 

ということで、テーマとして「残業代」について考えてみたいと思います。

 

 

なぜ急に残業代!?と思う人もいるでしょうが・・・

 

 

 

理由はありません!!

僕も自分で驚いています。「あー、なんで残業代について書いてるんだろ?」って。

 

 

 

 

 

 

 

タイトルにも挙げた「時間を金で買う」という言葉

 

 

これはよく仕事のできる人や自己啓発系の人から聞くことが多い言葉だと思います。

 

 

 

 

 

無駄に時間のかかる作業は、お金を払ってでも誰かにやってもらった方がいい。

その時間で自分は別の仕事を進める。

 

 

「苦労は買ってでもしろ」という言葉の通り、お金を払ってでも何かの経験をしていく方が、後々それが礎となり成長できる。

 

 

 

このような言葉を良く聞きます。

 

 

 

 

この意見には僕も賛同です。

 

特に若いうちにはやはり「苦労は買ってでもしろ!」と思いますし、自分にも言い聞かせています。

 

 

 

「お金」は目に見える分かりやすい価値です。

 

それに比べ、「経験」は目には見えない分かりにくい価値です。

 

 

 

だからみんな「お金」が大切だと短絡的に捉えてしまう。

 

 

しかし、人間的な成長というものを考えた際は目の前の「お金」よりも

時間を使って得た「経験」の方が何倍にも価値があると思います。

 

 

お金はお金。100円は100円であり、1万円は1万円です。

 

 

しかし100円で買った経験は「0円にもなるし、100万円にもなる」

1万円で買った経験も「0円にもなるし、100万円にもなる」

 

と僕は思います。

 

 

 

 

 

 

 

さて、気付いた人もいるかと思いますが、

 

 

 

僕はここまで「残業代」についての話しをすると言っておきながら、していません。

 

 

 

 

 

でも気付いた人は気付いていると思いますが、この話しは残業代でも同じことが言えます。

 

 

 

 

残業代とは「残業時間」×「時給」で出されます。

 

 

要するに時間でお金を稼いでいるわけです。

 

 

 

 

 

僕はこの残業代という制度がとても嫌いです。

だってお金を「価値」だと考えると、残業代というのは「時間」に価値を置いているわけです。人ではなく、時間にお金を支払っているということ。悔しくないですか?

 

 

 

仕事が早い出来る人間ほど、残業はしなくて良い。

仕事ができないダラダラしている人間ほど、残業が増える=給料が増える

 

 

という構図になってしまいます。

 

 

 

ここで葛藤が生じる人は少なくないと思います。

 

 

「残業代が出る」という環境にいることで、無駄に残業をしてしまいたくなる気持ちも分からなくないですが、それは「お金を時間で買ってる」状態。

 

 

それよりも、残業代を犠牲にしてでも仕事を迅速に終わらせるスキルを身につけること。そして残業がないことで作り出した時間を、有意義に自己投資に使うこと。

これは要するに「時間を金で買う」状態であると思います。

 

 

 

僕はこうありたいと、自分に言い聞かせています。

 

 

今現時点では、人よりも給料は少ないかもしれません。

でもこうして作った時間で読書をしたり、こうしてブログを書いたり何か作業をしたりと、自己投資することで、将来に繋がればいいなと思います。というか繋げていきます。

 

 

 

 

 

 

 

空を見上げれば、そこにはいつもお尻があった

ブログ

どうも!!

 


“お尻好き”で有名なささやんです。

 

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このブログも「お尻愛」からこのタイトルにしているわけです。

 

 

高校生の頃はよく体育座りしている女の子の「膝の曲がってる部分」を横から見ながら、その子のお尻を想像するということをやっていました。

 

通報したい?

 

いやいや、みんなやってるからね!!

 

 

 

 

 

はぁ〜・・

 

 

バカって悲しい。。

 

 

けど、バカに気付かない方がもっと悲しい・・

 

 

 


というわけで、バカだと自覚しながら今日は検証してみました!!

 

 


題して【本当に膝はお尻に見えるのか?】

 

 


〜方法〜

①お尻の写真を撮る

②肘の写真を撮る

③膝の写真を撮る

④見比べる

 

 

 

というわけで、その写真がコチラになります。

 

⬇⬇⬇

 

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皆さんどれがどこか分かります?

 

 

正解は・・・

 

 

 


ご想像にお任せします!

 

 

 

 

 

 

 


【結論】

 

お尻と膝と肘はそれぞれ違うけど、お尻を想像している時間はハッピーになれるから問題なし!!

 

 

 

 

以上!

 

ブログの名前の由来紹介でした!!!