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まんまるオシリのお月さま

カラダのコトとか人生とか悩みとかお尻とか

愛を込めてコテカをプレゼント

人は皆それぞれ、自分の価値観を基準に生きている。

 

価値観があるから物事を判断できる。

価値観があるから嬉しい事や後悔する事もある。

これは人間が人間らしく生きる上で必要なものだ。

 

 

しかし厄介なのは、その価値観が世界共通だと思い込んでいる人だ。

そういう奴はたいてい正義感が強く、自分の思い通りに行かないとすぐに泣く。

 

 

よく小学生の頃に先生が「自分がされて嫌なことは人にするな!されて嬉しいことをしろ!と言って教育していた。

 

 

これは自分と価値観が似た相手に対してならとても有効な方法だ。

価値観が同じであれば、されて嬉しい事や嫌な事も大体同じだからだ。

猫のように1日中コタツで寝ている奴には、キャットフードをあげても喜ばれる。

 

 

 

だけど、価値観の異なる相手の場合はどうだろうか。

全然興味のないマンガを「これ面白いよ!」ともらっても、その相手のことをよっぽど好きでもない限り、嬉しくないし読まないだろう。そんな経験誰もがしたことがあるのではないか。

 

やはり他人への行いというのは「大きなお世話」以外の何物でもないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

澤井は非常に真面目な青年だった。

 

高校時代はラグビー部で花園にも出た経験を持つ。一見細身であるが、よく見れば筋肉が引き締まっている「細マッチョ」の教科書的な体型だ。

 

 

職場でも成績優秀な彼は、海外への大事な出張を任されることもしばしばある。英語は堪能であるが、最近は通勤電車で中国語の勉強もしている。熱心な男だ。

 

 

職場へは毎朝一番乗りしてその日のスケジュールをこまめにチェックし、1日の流れをシミュレーションまでするほど「準備」を大切にする男だ。無論、彼女とのデートの際のレストランもラブホも「下見済み」である。ここまで来ると異常だ。

 

 

 

そんな澤井にもやはり人には知られたくない部分が存在する。

光があれば、影がある。

表舞台で活躍する人間には、裏の顔も存在する。

 

透明感抜群のパーフェクトな人間などそうそういないのだ。

 

 

 

 

 

澤井は真面目で優秀な人間である傍ら、女装癖があった。

 

実はこういう人はよくいる。

最近は秋葉原などに「女装サロン」というものまで出てきているそうだ。

 

matome.naver.jp

 

 

「心が落ち着く」

「気分が高まる」

「クセになる」

 

いろんな声が聞こえてくる。

 

 

 

ちなみに今年1月には女装しながら陰部を露出していた73歳のじいさんが逮捕されている。「陰部を出して歩くのがクセになってしまった」という衝撃的な発言を残して・・

 

 

 

そう。

 

世の中にはいろいろな人がいる。

 

 

 

自分の理解に収まらない人などゴマンといるし、むしろ自分が他人を理解できるなどと思うことがおこがましいのである。

 

 

 

 

 

どんな真面目な人間にも裏の顔がある。

 

一緒に暮らしている家族にだって、見せられない顔がある。

 

 

仲の良い友人、恋人、信頼できる先輩・・

 

それぞれとの人間関係の間に構築された「自分」がいる。

それと同時に隠された自分もいる。

 

 

女装癖のある友人から女装セットをもらっても「大きなお世話」のありがた迷惑だけど

 

女装癖のある友人へコテカをプレゼントしても同じく「大きなお世話」のありがた迷惑なのだ。

 

 

 

そんな僕はコテカをもらっても嬉しくない。そもそも嬉しい人なんているのか?

 

そんな思考がおこがましいものなんです。

 

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相手のためなのか、自分のためなのか

人間は大きなお世話が大好き。

 

自分が誰かの役に立っていたい。

そうすることで人との繋がりを感じれる。社会の一員になれる。

そこで初めて心は安定できるのだろう。

 

定年を迎え、社会との関係が断たれた途端に体調を崩す人がいる。

 

子供が自立し、子育てを終えてから不調が生じる人がいる。

 

 

人の身体の健康は、心の有り様と、社会の中での立ち位置に大きく影響されるのだ。

 

 

 

だから大きなお世話というのは人々の健康のためには大切なものだ。

 

だが時として、その大きなお世話は相手にとって迷惑だということもある。

 

相手の顔をよくみること。科学の基礎は観察だというが、観察の重要性は何にでも言える。キャッチボールは相手のいるところを確認して、そこに投げなければ始まらないように。

 

 

 

 

 

 

バレンタインデーというモテ男のためのイベントがある。

僕自身も中3くらいまでは無意味に緊張してソワソワしていた。

無駄に一人の時間を作り、「いつでも声かけていいですよ」という環境設定をしていた。そんな無駄な悪あがきをしている僕。その悪あがきにすら気付いている人はいなかっただろう。

 

 

高校生くらいになると義理チョコというものが増える。クラス全員に配ったりするやつね。あれが一種の「ありがた迷惑」というやつだ。

 

まず、好きな女の子の手作りお菓子ならそりゃ占領して体中の穴という穴から食べてしまいたいけれど、そんな青春ストーリーは僕には皆無。僕の分のお菓子を作ってくるのは好きな子ではない。むしろ苦手な子だったりするわけだ。

 

そもそも僕はお菓子を食べる人間ではない。お菓子を食べると口内炎がすぐにできるし、胃がもたれる。だから基本的にお菓子は食べたくないのだ。

 

 

そんな僕に手作りのお菓子を渡すという行為。これこそ「ありがた迷惑」だ。

「手作りお菓子を渡す自分」という存在が大切なのであって、お菓子が好きではない僕の存在など別にどうでもいいのである。

 

 

こんな書き方をすると、普通の人が読めばどう見ても僕は性格がクソみたいに映るだろう。正解である。クソみたいな人間なのだ。

 

 

バレンタインデーというイベントに合わせて、女子力をエネルギーに、クラス全員分のお菓子を作る。すさまじいエネルギーだ。その時点でもう僕のようなクソみたいな人間より、遥かに社会貢献している。

 

 

だけど、そのエネルギーを振り回す行為は注意が必要だ。RPGのゲームではある程度のレベルがないと高度な武器は扱えないように、溢れんばかりのエネルギーは、それをコントロールする技術が必要だ。

 

 

その技術が未熟であり、エネルギーだけが高い未成年が、色々とヤンチャをしてしまい警察のお世話になったりする。

 

 

大人になるというのは、ここのコントロールができるようになってくることだ。

もしくはエネルギーだけが低下していき、コントロールする必要もなくなっている人もいる。それは成長ではなく老化である。

 

 

 

大人になる。自分のエネルギーをコントロールする。それはつまり「相手との関係」や「社会との関係」を考えながらアプローチするということである。

 

よく観察すること。

 

よく観察すれば「分かる」のだ。

 

 

 

 

観察していないで自己中心的なアプローチをするというのは、相手にとっては「ありがた迷惑」になる可能性が高い。

 

 

まぁ相手が迷惑だと感じていようと、ありがたいと感じていようと、私たちが他人に対して行うことは全て「大きなお世話」の領域から出ることはない。

 

 

 

好きな女の子から手作りお菓子をもらえれば、お菓子嫌いな僕でもハッピーだし、その「大きなお世話」に死ぬほど感謝するだろうし、余計に好きになってしまうことだろう。

 

 

 

人を喜ばせるには、結局「好きかどうか」だし、そうでないならば「迷惑」は確信犯でなければ痛々しい。。むろん大人になってからの話ではある。

 

 

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北風と太陽

寒い日に、相手の服を脱がせたいのなら、銭湯かホテルに直行しましょう。

  

ということで、今日は「北風と太陽」について!

 

 

 

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これは太陽とシスコムーン

 

似てるけど惜しい!!ニアミス!!

 

 

 

  

 

 

というわけで、北風と太陽という童話は知っている方も多いかと思いますが・・・

 

 

これは「北風」と「太陽」が旅人の服を脱がせるという、野球拳的なゲームのお話です。そういえば野球拳とか中2くらいの時は憧れたけど、そんなシチュエーションは画面の中にしか存在しないのだとつくづく思い知らされますね。

 

 

 

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「暇や〜・・暇すぎて餓死しそうや〜・・・腹減ったわ〜」

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「そんなに暇なら、ちょっとあそこのおっさんの洋服脱がせるゲームしよか」

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「おっさんお服脱がす趣味なんてないんやけど・・・」

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「騙されたと思って一回やってみ!新たな自分に出会えますわ!」

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「北風はんがそこまで言うなら一回やってみてもえぇか。。」

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「よっしゃ!ほなまずは見本見せたるわ!よう見とけよ!」

 

 

 

北風の作戦は、風の勢いに任せて洋服を剥ぎ取ろうとするというものなのですが、これが旅人には逆効果!

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20160501002206j:plain「なんや急に・・今日めっちゃ寒いやん!アホか!天気予報全然当たらんわ」

 

と怒りながら旅人は洋服を着込んでしまいます。

 

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「久々にやったけん、感覚が狂ってたわ〜。次はあのオッさんにしよう!小太りで可愛いしめっちゃタイプやわ」

 

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「ちょいちょいちょい!!待ていぃ!わいの番や!何自分だけ楽しんどる!そんな性癖あったの知らんし・・」

 

 

 

太陽は対照的に、暖かく照らし続けることで旅人本人からの「服を脱ぎたい」という能動的な行動を引き出す作戦に出ました。これが功を奏し

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20160305220707j:plain「なんや今度は急に・・あつっ!暑すぎやん!服脱ごう!」

 

と旅人は服を脱ぎ始めました。

 

 

 

f:id:sasataaaaa:20170309215310j:plain「わいの勝ちや。オッさんも中々えぇなぁ。新たな自分に出会えましたわ」

 

 

f:id:sasataaaaa:20170228055316j:plain「今回は負けたけど、太陽はんがオッさんに目覚めたならオールオッケーや」

 

 

 

〜おしまい〜

 

 

 

 これが童話【北風と太陽】のあらすじになります。

 

 

 

 

この話の要点は

 

北風のやりかた・・・自己中心的で強引なアプローチ

 

太陽のやりかた・・・相手主体の行動変容を促すアプローチ

 

 

であり、「物事は太陽的なやり方の方がうまくいくことが多いよ」というお話だと思います。

 

 

 

 

 

僕はこの太陽的なアプローチ法をいうものを、自分の仕事(理学療法)を通して意識し続けてきて、その重要性をとてもよく感じるの。  

 

 

なぜなら、このようなアプローチをしていくには、その対象をもっと深く知る必要が出てくるから。

 

 

 

 

 

北風的なアプローチは、自己中心的に成り立ってしまうわけですが

 

太陽的なアプローチは、相手を知る。相手ありきのアプローチなんです。

 

 

 

 

これは非常に大変ですが、相手と対立しないため非常に物事がうまく進みます。

 

 

人間関係なんかにおいても、「〇〇を相手にしてほしいな」と思った時に、それを直接頼むという方法もありますが、「相手が〇〇したくなる環境を構築する」というアプローチを行うことで、相手の主体性を引き出すことができるわけです。

 

 

今日はもう眠くなってしまったので、この辺にしようと思いますが、

僕が社会人になってからずっと大切にしてきた考え方なので、また続編として、理学療法の現場での具体的な「太陽的アプローチ」について記事を書ければと思います。

 

  

 

科学的に作られた世界

こんばんは。

 

今日はドクター向けの勉強会と懇親会があったので軽くアルコールが入っていますが、ブログを更新しようと思います。

ささやんです。(※ちなみに僕はドクターではありません)

 

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最近はSNSなどの発展が目覚ましく、色々と便利になったなぁと感じる場面が多々あります。

 

例えば近年はツイッターとかですぐに見ず知らずの人とも情報交換をできたり(良い面もあれば、悪い面もあります)

 

YouTubeには世界中の様々な動画が載っているわけで、一流スポーツ選手のプレーなんかもスマホがあればいつでもどこでも見れます。

 

いつの時代からか、世界的にも日本においても科学の発展は目覚ましく、電話が発明されたり、飛行機が空を飛んだり、ネットで世界中の人とコミュニケーションを瞬時にとれたりと・・・

科学の発展は本当に凄まじいものだと思います。

電話とか意味がわからない。なんで声が遠くの人に届くねん!!

 

 

しかし科学の発展はすごいとは思いますが、科学的な思考形態が一般化しているからこその発展であり、科学的な思考形態でなければまた違った世界が広がっていたことと思います。

 

 

 

ん?わかりづらい??

 

 

 

 

要するに、科学は進歩したというよりも、実際は分からないことだらけではあるのだけれど、科学で分かったことに基づいて文明が発展したから、科学が発展したように感じているだけでもあるということです。

 

科学的な思考形態が一般化していなかったら、今頃また全然違う世界になっていた可能性があるでしょう(良いとか悪いとかではなく)

科学的な発展がなされた世界だから、薬や手術などの急性期の医療が発展しました。

逆に科学的な思考形態でない世界の発展がもしあれば、そこの世界では遠隔治療などが一般化されていた可能性だってあるわけです。

 

世間一般でいう「常識」というのは「作られたもの」「規定されたもの」なのですね。

 

 

 

 

では科学とは何なのでしょうか?

科学的な思考形態とは一体何なのでしょうか?

 

 

 

まず前提として大切なのは、科学は万能ではないということです。

科学で取り扱える問題というのは、客観的に捉えられる問題であり、人間が認識できるものであり、再現性のあるものになります。

 

 

つまり大前提として「人間が勝手に規定した要素」を扱うということになります。

自然そのものを扱うのではなく、自然界から人間が切り取って名前をつけた要素(現象)を扱うということになります。

 

そのため、その要素間の関係性や傾向などは科学で分かりますが、科学では自然そのものを知ることはできません。

科学で分かる事というのは、人間の切り取った要素に規定されてくるのです。なので当然、名前のないものに対して科学は入り込む術がありません。

 

 

科学の役割というのは、物事を矛盾なく説明でき、結果を予測できる理論を構築することであります。

そのため、物事を科学的に説明することは可能ですが、その物事自体を科学では知ることはできないのです。

 

これは科学に限らず、人間の認識の構造であり限界でもあります。

 

 

今の科学では分かるようになったことも沢山ありますが、世界は分からないことだらけです。

科学の発展がすごいと感じるのは、科学的に作られた世界を生きているからです。

 

良い面は沢山学びつつ、それが全てではないということを知り、謙虚に世界を観察して生きたいと思います。

 

 

 

人生で初めて三十路になった日

こんにちは。

 

三十路ささやんです

 

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そうです。

私、先日ついに・・・

m・i・s・o・j・i になりました!!!!!

 

もう30歳ですよ。ついこの前まで若い若いと職場の先輩にチヤホヤされていたのに、今ではチヤホヤしている側ですよ。

 

後輩に向かって「若いねー」とか言うと、本当に老けた気分になるので言わない方がいいですわ。

 

ということで、僕がいつも自分に言い聞かせているのは「これからの人生で、今が一番若いんだ!」ということ。何かをやり始めるのは若いに越したことはないと思うので、何かを始めるのは「いつやるの?今でしょ!!」を心がけています。

 

さて、知っている方はお分かりかと思いますが、僕は基本的にひねくれた性格をしているのです。なので「キリが良いから」とか「新年新たな気持ちで」とかあまり好きではないんです。

「キリが良いとか新年とか関係なくない?特別な日も、何でもない日も同じ1日でしょ!」という考え方です。

 

 

でもさすがに30歳というキリの良い数字だと、過去を振り返ってみたりしちゃいました。(おいっ!)

 

まず思い浮かべたのは20歳の頃のこと。ついこの前のように感じる部分もあるけれど、その頃の自分と今の自分は全然違う人間だなとも思うわけです。

懐かしい友人に会えば「全然変わってないね!」とも言われますが、でもその頃の自分がそのまま成長して今の自分になるだなんて考えられないんです。

 

この10年間で大きく変化したなと思うわけですが、その背景には「人との出会い」「自分自身への問題意識」というものが大きく影響していると思います。

 

あまり「出会いに感謝!!」とか連発しちゃうような人は苦手なんですけど、でも人との出会いは本当に人生に大きな影響を及ぼすなと思います。「この人すごいな」とか「この人なんだかわからないけど、素敵だな」と思える人に出会うと、自分の価値観って簡単に崩れ落ちるようにも思えるのです。いわゆるパラダイムシフトというやつでしょうか。

 

その変化が自分の中に起こる時って必ず「今の自分の延長には、(この人のような)ここはない」と思えるのです。そしてそこに問題意識が芽生えます。「何が必要?何が足りない?何を取り組めば良い??」と。

そして自分の中で必要だと思うこと、足りてないと思うことに意識的に取り組むようになる。それまで盲点であった部分に意識的に取り組むんです。

 

これで変わらない訳ないですよね。それまでの自分と「在り方」自体が変わっているのだから。

 

成長に必要なのは、知識をつけることでも何か技能を習得することでもなく「在り方が変わること」だと思います。そしてそのためには「問題意識を持つこと」

問題意識を持つようになるには、自分にとって盲点であった部分を思い知らされる経験が必要なのではないかなと思ったりします。それがもたらされるのが「人との出会い」なのではないかと。

先ほど「10年前の自分がそのまま成長して、今の自分になるだなんて考えられない」と書きましたが、これは当たり前で「そのまま成長する」なんてことはありえない訳です(要するにそのままなんでしょ?ってツッコミたくなりますね)

 

計画通りの人生なんてつまらないし、いつ何が起こるか分からない。

この10年間で色々と自分の無力さを思い知らされ、その度に大きく自分の在り方が変わった。

 

10年後は40歳。もちろんどうなっているかなど全く想像できない。

だけど一つだけ、計画通りであってほしいのは「家族が健康でいること」

もう本当にこれに尽きるというか、三十路になった日に一番強く感じたのは「30年間も健康でいられて感謝!」ということです。

お父さん、お母さん、そして奥さん。

周りの人への感謝の気持ちは忘れずに、日々を楽しく過ごしていきたいのです。

 

30代楽しむぞー!!