読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まんまるオシリのお月さま

健康とか人生とか悩みとかお尻とか

「慣れ」と「上達」

雑感

 

「自分のことは自分では分からない」

 

とか

 

「自分のことは自分が一番よく分かる」

 

とか

 

こういう言葉をよく聞くけれど、結局どっち!?

 

 

どっちもあると思います。

 

 

 

 

今日は「自分のことは自分では分からない」について

 

 

 

 

 

 

 

 

井の中の蛙という言葉があるけれど、これは人間みなに当てはまる言葉です。

 

 

認識の構造を考えても、結局はみんな「自分の世界」を生きているのであって、その世界というのは時代や文化、育ってきた環境などからの影響を多大に受けています。

 

かなり規定された世界なわけです。

 

 

 

 

そんな中で個々によって認識の差は当然生じるわけです。

 

 

 

「目玉焼きには醤油でしょ!」

 

「いやいやソースでしょ!」

 

 

という言い争いが起こるのも「自分にとっての当たり前」が「他者にとっての当たり前」と一致しないからですよね。

 

 

 

自分の認識は誰にとっても同じ「共通認識」だ

 

そんな思い込みが非常に視野を狭くさせ、人間の成長を邪魔しているのだと思います。

 

 

 

自分の認識と、他者の認識には必ず差があります。

 

つまり「自分で思っている“自分”」と「他者が思っている“自分”」にも当然差があります。

 

 

「自分のことは自分が一番良く分かっている」というのは、あくまでも自分の視点でみた場合であって、他者の視点からしか見えない「自分」も同時に存在しているのです。

 

 

 

 

 

ここでタイトルにもあげた「慣れ」と「上達」について。

 

 

何かに取り組んで「上達」を目指した場合

 

 

 

最初に上手くできなかったことを繰り返して、だんだんとスムーズにできるようになってきた場合、それは上達したのではなく、「慣れた」のだと思います。

 

元来の自分の癖が反映された方法で繰り返し練習することで「慣れ」が生じるのです。

 

これは上手くなったわけではありません。自分の中での上限に達したのです。自己完結であり、「井の中の蛙が、井の中を上手く泳げるようになった」だけです。

 

 

 

「上達」を目指すのであれば、「自分なりに」努力をしても上手くなりません。

自分の癖を取り払っていく。自分の見識から一歩外に目を向ける。新しい世界を受け入れるといった過程が必要になります。

 

そのため「他者の視点」というのはとても大切な要素になります。その他者が誰なのかも勿論重要です。

 

 

 

「褒めて伸ばす」みたいな言葉がありますが、これは怖いことです。

 

例え誤った取り組みをしていても褒められた側は気付くはずもありません。褒められて嬉しいし、自分の視点では気付けない部分の上達を望んでいるのなら、誤りに気付けるはずもありません。

 

 

 

誰を師とするか。

 

どんな仲間を持つか。

 

 

上達には欠かせない大切な要素だと思います。