まんまるオシリのお月さま

ささやんの頭の中

自分は何者なのか?

 今後の自分の活動を考えた際に、資格があった方がわかりやすいし色々とスタートを切りやすいなぁと感じる一方で、資格を取ることをすぐに考えてしまう思考には問題があるのではないかと思う。もちろんケースバイケースだけれども。
 
自分が社会に対してどんな価値を提供できるのか?
自分は何者なのか?
 
それは資格が語るものではない。
 
どんな人間かを問われているのに、「自分はどんな知識や技術を持ち合わせているか」を説明する人がいるけれど、そんなものは飾りのようなものである。自分のことを問われているのに、自分の持つ知識や技術を語られるほど寂しいことはない。
 
資格や肩書きなども直接的に「その人を知ること」にはならない。顔見て話せばその人がどのような人間なのかは表出されてくるものだから、名刺にたくさんの資格が書かれていても、顔が腑抜けなら関わらない方が良いのである。
 
資格や肩書きは社会にアプローチする上でのスタート地点として周囲に分かりやすいが、それ以上のことには関係してこないのである。
 
もちろん資格がなければできない仕事も山ほどあるし、資格とは一種の努力の証のようなものである。必要な知識を身につける努力をしたという証。でもやはり、それ以上のものを保証するものではない。
 
つまり資格や肩書きというのは手段であり、スタート地点で使い捨てするくらいのものであるのだと思う。いつまでも資格や肩書きに囚われていれば、そこに成長は望めない。
 
今後は「個の時代だ」と言われているけど、まさに「自分は何者なのか?」という問いを常に持ち続けることが必要な時代になってくるのである。
 
それはつまり社会や目の前の相手に対しての「自分は何者なのか?」ということであり、「自分は〇〇だ」というような相手を無視した自己中心的な主張ではないのである。
 
相手と関係を築けることが本当の意味でのスタート地点なのだろう。