まんまるオシリのお月さま

ささやんの頭の中

癖との付き合い方②

自分が相手に触れるときは、基本的に自分が主体である。当たり前だけど。

自分の人生を送っている以上、行動全て自分が主体である。これはこの世に生を受けた以上、誰もが逃れられない当たり前の規定である。主観的とか客観的とかあるけれど、主観から外れることはできない。

 

しかし意識というのは面白い。いや、意識という言葉が適切なのか分からないけど、「どんな志向で触れているか」で感じ方というのは大きく変わるのである。

もちろん何も考えていない時は無意識的な触れ方になっている。それはつまりその人のそれまでの人生の在り方がそのまま反映されるわけである。

 

そこに問題意識を感じているのであるから、これを変えていくためには志向を変えていくことがまずは必要だろうと思う。

 

例えば触れる際に「相手を感じようと触れる」のと「相手が感じているものを感じようと触れる」のでは、感じ方が全く違う。意識の主体が自分なのか、相手なのかがまず変わるわけである。

 

最初ん述べたように、この世界は全てが主観であり、自分が主体である。

なのになぜかは分からないけれど、「相手の感じているものを感じようと触れる」と、自分のタッチの違和感とか、相手がどのように僕の手を感じているのかなどが分かるのだ(本当に分かっているかは厳密には言えないけど、明らかに相手の身体の反応も変わるのである。)

 

自分自身の癖を直すには、自分という見識を抜け出す必要がある。そのための対人関係でもあり、また相手を尊重する関わりが必要なのかもしれない。